おせち料理のはじまりは諸説ありますが、弥生時代とされています。
稲作が縄文時代に中国から伝来し、弥生時代にかけて広まったことで、神様に収穫を感謝する風習とともに広まったとされています。
同時に節(せち)を季節の変わり目とする暦の風習も伝わり、神様にお供えをする節供(せちく)が広まります。
この料理のことは御節料理(おせちりょうり)と呼ばれました。
この流れが、おせちの原点とも言われています。
平安時代には、天皇を中心とした宮中で「節」の儀式である中国・唐の節会(せちえ)という行事が始まり、特に重んじられていた五つの節会のことを五節会(ごせちえ)と言います。
五節会が行なわれた日程 | |
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元日(がんじつ) | 1月1日 |
白馬(あおうま) | 1月7日 |
踏歌(とうか) | 1月16日 |
端午(たんご) | 5月5日 |
豊明(とよのあかり) | 新嘗祭(にいなめさい)である11月23日の翌日の辰日、または3日後の午日 |
おせち料理自体は江戸時代末期に現代に近い形になりましたが、「おせち」と呼ばれるようになったのは第二次世界大戦後。
それ以前は食積(くいつみ)あるいは、蓬莱と呼ばれていました。
それまでおせち料理は家庭で作られるものとして定着していましたが、終戦後からはデパートで重箱入りのおせちが売り出され始めました。
その際、おせちという名称で売り出されたことで、広く一般的に「おせち」と呼ばれるようになりました。
重箱に料理を詰めるようになったのは、江戸時代末期から明治時代になってから。
平安時代の御節料理は、器に盛られて提供されていました。その流れから江戸時代の記録でもおせち料理はお膳に乗っていたとされていましたが、江戸時代末期から明治時代にかけて箱に詰めて提供されるように変化したと言われています。
重箱に詰めるのは「より多くの福を重ねる」ため。
縁起物であるごちそうを重箱に詰め、箱を重ねることで「福が重なる」「めでたさが重なる」という意味があるからという説があります。
また、ふたを閉められるので保存しやすく、お客様にもそのまま振る舞いやすいといったメリットがあったのも、重箱に詰めたおせちができた理由と考えられています。